摩擦でございます。

 ここ最近、割と平穏に生活をしていた。腹が立ったと内心むっとしようとも、昔を思えば可愛らしいものだと思えるほどに。
 が、久々にそれを覆すイベントが発生。事務所の、デスクが居場所の人間と言うのは本当に面倒だ。現場を知りもしないで、文句ばかりを言う。これは、どこの業界でも同じだと言わざるを得ない。
 原因はささやかなことではあったが、矛盾する点がどうしても納得いかなかった。だからといってそこで粘ってもことは収まらず、流れる時間は無駄になる。そうして、結局折れるのはこちらなのだ。
「摩擦があるから、転ばずにいられるんだよ」という言葉に、確かにそうだと感じたのは数年前。今は、その摩擦のお陰で自分は望まずとも研磨され、丸くなっていくのだろうと思えた。摩擦されるということが、大人になるということか。
 人の振りみて我が振り直せ。まさにその通りである。少なくとも、こうして「あんな風にはなりたくないものだ」と思わせ、成長するチャンスを下さっているに違いない。アリガタヤアリガタヤ。
 そう書きつつも、その件の人物と闘うシミュレーションをしたことは隠さないでおこう。


 関西で20余年を過ごし、関東へ来て半年以上が過ぎた。ここへ来て見て、初めてわ理解することができた事象の多さに驚くばかり。しかし、この人の多さにはいつまでも慣れず、辟易するばかり。
 失って初めてわかるものなのだと、しみじみ思う(なんかもう表現が年寄り臭い)。健康も、居住地も、人も全て同じ。そこに在る限りはわからないものなのだ。